6月まで何をしていたのか
4月10日にブログを更新したっきり
10日坊主になっていたブログだが、自分の進捗管理が必須になってきたので頑張って再開していきたい。
再開にあたり、まず今まで何をしていたのかを総括する
4月は新しいことに躊躇わずに手を出す習慣づくり。普通二輪。
これまでの流れと、4月は何を心がけていたか
(4月までの振り返り)1月が終わるまで生気を完全に失っていたが、2月は今後の人生のことは度外視し、お笑いを見るなどして元気の回復に努めた。おかげで普段からもニコニコできるようになり、もう一度人生を前向きに生きるために、自分をどのように変えるべきか、どこを目指すべきかを3月の間考えることができた。
この思考の末、自分の最大の弱点の一つ、「失敗を恐れて新しいことに挑戦できない」などの性格を改めるべく、4月はプライベートで手当たり次第に自分が今までしなかったことに手を出すようにした。
結果何をしたのか
4月中旬はカウンセリングや認知行動療法、それから契約していた予備校の面接練習にも各々週1で通っていた。
しかし特筆すべきことは普通二輪の教習に通っていたことだ。
今までの保守的な行動パターンの自分なら、危険と隣り合わせのバイクに乗ろうなどしなかっただろう。
ところでほぼ毎日通っていたものの、とはいえ教習時間と移動時間を合計しても5時間ほどにしかならないので、午前中と夜は何をしていたんだという話になる。
まず午前中だが、寝ていた。起きれなかったのだ。
仕事があれば有無を言わさず起きるのだろうが、無かったし、その上で寝覚めも悪かったので惰性に流されるがままである。
夜だったかどうかは分からないが、ほぼ毎日ニュースは見続けていたような気がする。あと本もよく読んでいた。読んだ本は以下の通り(だいたい読んだ順)。読み終えていないままのものや、3月に読んでいたものも含まれている。
書籍名 | 著者(敬称略) | 本を選んだ理由 | 受けた影響・感じた重要性 |
---|---|---|---|
『21世紀の資本』 | トマ・ピケティ | 理想の社会の姿を知りたかった | ◎ |
『我が逃走』 | 家入一真 | 前から著者が気になっていた | ◎ |
『どんな本でも大量に読める「速読』の本 | 宇都出雅巳 | 読む速さが遅かったから | ◎ |
『幸せのメカニズム』 | 前野隆司 | 人の幸せとは何か知りたかったから | ◎ |
『持続可能な資本主義』 | 新井和忠 | 新自由主義ではない資本主義のあり方を知りたかった | ○ |
『「自分には価値がない」の心理学』 | 根本橘夫 | 目次を見たとき自分に当てはまるものが多かった | ◎ |
『多動力』 | 堀江貴文 | 新しいことにどんどん挑戦できるようになりたかった | ○ |
『99%の人がしていない、たった1%のリーダーのコツ』 | 河野英太郎 | 2年前に買ったままになっていたから | ○ |
『さよならインターネット』 | 家入一真 | 家入さんの考えをもっと知りたくなった | ◎ |
『10秒でズバッと伝わる話し方』 | 桐生稔 | 自分の話が長いから | ○ |
『社会人になるということ』 | 山藤賢 | 自分は社会人としても心得が不足していたのかと思った | △ |
『滑らかなお金がめぐる社会。あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。』 | 家入一真 | 家入さんの考えをもっと知りたかった | ◎ |
『面白いほどよくわかる官庁&官僚のすべて』 | 斎藤ヒサ子 | 国家公務員になることも検討していた | ○ |
『採用基準』 | 伊賀泰代 | 採用担当者の狙いを知っておこうと思った | ○ |
『認知行動療法のすべてがわかる本』 | 清水栄司 | 認知行動療法を受けるか判断するため | ○ |
『文系人間のための「AI」論』 | 高橋透 | 結局AIって何か理解してなかったから | ◎ |
『文系でもわかる人工知能ビジネス』 | EYアドバイザリー株式会社 | 結局AIって何か理解してなかったから | ○ |
『レジリエンス入門』 | 内田和俊 | 再就職しても心を健康に保つため | ◎ |
『博士になったらどう生きる?』 | 栗田佳代子/吉田塁 | 大学院進学も検討していた | ○ |
『社会起業家になるには』 | 籏智優子 | 人のために働くことの選択肢として検討した | ○ |
『休む技術』 | 西多昌規 | 仕事してる時は休むことに罪悪感を感じてうまくオフできなかったから | ◎ |
深夜の時間の過ごし方が酷かった。何とも言えぬ満たされぬ感情と惰性に任せてネットサーフィンを2時、3時まで続けていた。当然これが朝に響いた。
4月下旬には普通二輪免許を取得し、4月末には125ccで一週間ほど金沢への旅に出かけた。多少の無理でも冒険すること対する楽しみを学べたことは大きな収穫だった。
4月の間に新しい価値観や考え方が生まれ、社会復帰への精神面での準備は9割がた終わったと思っている。どういう変化があったのかはまた別記事でまとめたい。
5月はゲームとプログラミング、そして東京へ
プログラミングでゲームを作り始めたのだろうか?とんでもない。
5月の心がけ:社会復帰の行動を開始した
社会復帰のために就活とプログラミング学習を進めた。プログラミング学習は、「好奇心をモチベーションにして活動する」という自分の新しいエンジンの試運転も兼ねていた。
などというのは一部の話である。就活も1箇所を受けたに過ぎない。
5月前半はゲームにのめり込んでいた。
ゲームを楽しむこと自体は別に構わないと思うが、ほぼ2週間毎日1日中やり続けたのはまずかった。
序盤のうちは約10年ぶりにゲームをする事実とゲームのストーリーの奥深さに感動を覚えて、ワクワクしながら夢中になっていたものだが、
ゲームの楽しさと労力のコスパ > 重い腰を上げてプログラミングや就活を始めて未来が開ける幸福感のコスパ
という式の左辺の楽しさが限界効用逓減によりどんどん逓減し、ゲームで解消できずに残る、満ち足りない感情がどんどん積み上がっていった。
そして左辺の労力の低さに慣れてしまったために、主観的に右辺の腰がどんどん重く思えてますます腰を上げられないという負のスパイラルに陥った。
ゲーム地獄からの脱出
- さすがに飽きた(ED直前でやめたままになっている)
- 就活は一次面接で落ちた(能力ではなく人物評価中心を謳う採用だったところで落ちたので、いよいよ現状の自分ではどこにも行けないと実感した)
- そろりそろりとプログラミングを始めたらやっぱり楽しかった
- 自分の人生観・価値観に沿って人生を生きようとするなら、自分で価値あるものを作り出し、問題解決できるようにならないと厳しいことに気づいた
以上の理由から友人が貸してくれたPSvita(やっていたのはペルソナ4)を放り出してMacBook Airに向かい始めた。まだ齧り付くほどではないが、速やかにそのレベルまで上げていきたい。
また絶望しそうになったが東京を訪れて回復した
しかし指導者や確かな教科書のない状況で、新しい言語学習、アプリケーション開発を環境構築から始めるのは、流石に孤独と未来の見えなさにメンタルを削られるものだった。
不安に苛まれながら夜行バスに乗って東京に向かう途中に、「この東京の旅で俺の人生の未来を切り開こう」という旅のミッションを思いつきワクワクするという幸運に恵まれた。
早速考え、相談し、情報収集を行ったら家入さんが右腕となるアシスタントを募集しているという。今の実力では及ばないことが分かっていても、そこに行けば何かが掴めるのではないかというすがるような希望で応募を決めた。結局応募メッセージを推敲して提出したのは翌朝だったが。
結局その土日は家入さんに会えなかったが、それでも自分から行動して道を切り開く姿勢を作れたことは、その後の姿勢も前向きなものにしてくれた。
そもそも東京に行ったのはAKB48の岡田奈々さんと握手するためだった。
「人生をこれ以上生きたい」とはまだ思えていなかった初春に、とにかく延命させるために何も考えず、半年ぶりに申し込んだ握手会の開催日がやってきたから東京に行ったわけである。
結果、新旧の友人たちとも会えて、
- 自分は孤独ではなく、多くの味方がいること
- 自分の活躍を楽しみに待ってくれている仲間がいること
- 動き続けること。やってみることが一番大事であるということ(ほぼ全員が同様の助言をくれた)
これらのことを肌で感じることができ、不安は払拭された。本当にありがたい。
また、初めて自らの意思で美術展(建築の日本展)に赴き、芸術・デザインの素晴らしさを感じられたことも、自分の新しい道を開いたのではないかと感じている。
この2ヶ月の総括
自分が社会でもう一度生きていくためのメンテナンス手法や新しい活力発生習慣を身につけ(4月)、実際に行動を開始する姿勢を取れた(5月)。
もう準備は終わりでいいだろう。社会にもう一度全力で挑戦することを6月は始める。自作アプリケーション・サービスを公開することをコミットしておこう。
※これまでのプログラミング・Python学習経過は明日にでも別記事でまとめます。